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いざ、◯◯へ!
 
こんにちは!世界史スタッフの上場です。


普段、私は世界史(と地理)の授業をさせていただいているのですが、

今日は気分を変えて、“日本史”の勉強をしに、あるところへ行ってきました☆





着いた先には...





みなさん、このお城をご存知でしょうか?

お城マニアなら分かるはず!笑






そう、大洲城ですね!大洲にやってきました(^^)


大洲城は、今から約700年前、守護として伊予(現在の愛媛県)を治めていた宇都宮豊房という人物によって、築城されました。

城を築いた丘が「地蔵ヶ丘」ということから、大洲城を別名「地蔵ヶ丘城」とも言うそうな。




外観はとても小さく、迫力があるとは言い切れませんが...

中に入ってみると、とても新鮮さを感じる様相でした。

というのも、壁や柱などの木材が、長い年月をかけて味を出しているというよりも

つい最近造られたのかと思うくらい、とても真新しいものだったからです。







なぜかと思いながら、城内を回っているとあるものを発見!




明治維新から現在に至るまで、大洲城は修築が行われてきました。

修築は築城時の工法で行われ、しかも修築のための木材のほとんどは地元民から提供されたものを活用しているそうです!

大洲城はまさに「地元民とともに生きる宝」といえます!



みなさんもぜひ、大洲城にへ!

という砥部町民による大洲PRでした(笑)




〜番外編〜

ちなみに、大洲城の側を流れる「肱川」という側には“ある伝説”があると言います。


それは、「人柱伝説」


かつて、川に面した高石垣の工事が難航したため、人柱(簡単に言うと、生け贄です。)を立てる事となりました。

くじによって選ばれたのは、「おひじ」という若い女性でした。

おひじはやむを得なく生き埋めにされ、人柱となりました。


その後、無地工事は終了し、おひじの最後の願いにより、大洲城の下を流れる川を

「肱川(ひじかわ)」と名付け、また大洲城も別名「比志城(ひじじょう)」とも呼ばれました。




@上場 柾人
| - | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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